どうでもいい、今更昔話 “ハイライト”

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煙草を吸い出したのは社会人になってからだから、まあ、社会のルールどおり。最初の煙草がハイライト。この頃は同僚と毎日曜日に阪神仁川か京都淀競馬場、雨が降ろうと台風が来ようと、長居から通った。
 ある日ふたりともとことん負けた。普段は勝とうが負けようが場外の出店屋台で一服して帰路に着いたもんだが、その日だけは仁川駅から次の駅まで歩いた。甲東園にたどり着き、さすがにくたびれて一杯飲み屋に入った。
 ビールを手に「ビールも煙草も一杯目、一服目はうまいもんだが、今日はやたら煙草が不味い。しかしおまえってなんでピースなんだ」と同僚に尋ねた。ハイライトは味、コストからして労働者階級、われわれには分相応。彼の吸っていたピースは、当時お洒落だったし何より気品のある味わいがある、だが割高だった。彼は、はずれ予想紙の検証をしながら「みんなそれぞれだ、十人十煙でなにがいけない!ピースは頭が冴える。しかし、今日はな!」と、ぼやいた。穏やかな時代のひとこまではあるが、煙草の味は味そのものより、気分に左右されるものである。
 吸う煙、吐き出す紫煙のあわいに心の澱がしみ込むのだろう。ところで煙草を吸わない人はどうやって心の澱を吐き出しているのだろう。そういえば、最近ため息をつく人が増えているのも、禁煙運動のせいかなとも思う。吐き出す重いため息は煙草の煙よりも周りの人の気分を曇らせる。
 害ばかりが叫ばれている煙と消える煙草に、その効用がうたわれることはないが、
人前でため息がつけない気弱な紳士が煙草の煙に託して吐き出している心の澱があることも知っていてもらいたいものである。
by mokuba-kobe | 2011-11-24 10:00